田野町史 上巻
タノ チョウシ
種別: | 電子ブック |
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言語: |
日本語
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出版事項: |
田野町 (宮崎県)
田野町
1983.3
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主題: | |
オンライン・アクセス: | 国立国会図書館デジタルコレクション [静岡本館レファレンスカウンター・浜松分館カウンターへ(平日9:00-12:30,13:30-17:00)] |
目次:
- 目次
- 題字 田野町長 池宮綱人
- 田野町全図
- 歴代戸長・村長・町長
- 田野町章
- 田野町民憲章
- 田野町の花・木・鳥
- 田野町民歌
- 田野町音頭
- 口絵(カラー写真)
- 発刊のあいさつ 田野町長 池宮綱人
- 凡例
- 第一章 郷土の自然
- 第一節 位置と面積
- 田野町の土地はどのように利用されているか
- 第二節 地勢及び地質
- 田野町は盆地の町
- 田野は海の時代が四回もあった
- 田野で見られる堅い岩石はどうしてできたのか
- 新期礫層はどの辺で見られるか
- 高さの違う段丘はどうしてできたのか
- シラスはどこから来たものだろうか
- 川岸にも高さの違う段面があるのはなぜか
- 田野の土はなぜ黒いのだろうか
- アカホヤはどうしてできたのか
- 田野の表土はどんな組成になっているか
- 田野はなぜ化石で有名なのだろうか
- 田野にはどんな珍しい岩石があるか
- 鉱石や鉱泉にはどんなものがあるか
- 第三節 植物と動物
- 鰐塚山は田野町のシンボル
- 鰐塚山の名前にはどんな由来があるか
- 鰐塚山にはどんな植物があるか
- 宮大演習林はキノコの宝庫
- 演習林内での珍重な植物
- 町内の珍しい木にはどんなものがあるか
- 田野はスギ苗でも有名である
- 田野の動物や鳥ではどんなものが有名か
- 第四節 気象
- 田野のわたくし雨
- 月平均気温の比較
- 田野名物の大根風
- 参考文献
- 第二章 郷土の歴史(原始~近世)
- 第一節 原始
- 演習林登り口の先土器時代の小型石器
- 前畑出土の貝殻条痕文土器
- 南九州で初めての配石遺構を発見
- 馬首形つまみを出土した黒草遺跡
- 蛇行剣を出土した灰ヶ野地下式横穴
- 灰ヶ野地下式横穴第二号
- 高野原地下式横穴
- 第二節 古代
- 百済王族田野漂着譚
- 奈良時代の田野は宮崎郡
- 僧俊寛配流の道
- 第三節 中世
- 鎌倉初期の田野は島津荘
- 弘安八年作の山住観音
- 持田に刀工波平行安の伝説
- 南北朝時代の岩城「梅谷城」
- 伊東氏と縁の深い天建神社の宮田家
- 随従下向の士、在国新附の士
- 清武美作祐行田野を受領
- 田野城(借屋原城)城主借屋原甚佐衛門
- 伊東祐国・祐邑の飫肥攻めに田野勢も参加
- 西導寺をおこした川添二郎左衛門
- 永禄五年の飫肥攻めで田野衆討死
- 屋敷に残る永禄の石塔
- 伊東四八城の一つ田野城(借屋原城)
- 飛松・青井岳の合戦
- 三角寺にある天正の石塔
- 伊東氏の没落
- 薩将上井覚兼が田野で鹿狩り
- 田野地頭大寺大炊介豊後で討死
- 島津氏、豊臣秀吉に屈服
- 田野地頭大寺主計介山之口に蟄居
- 伊東祐兵旧領を回復
- 田野衆長命寺の乱鎮圧に大活躍
- 宮崎城攻めに田野衆も参加
- 第四節 近世
- 田野は飫肥藩領のうち三〇町
- 田野城(借屋原城)廃城
- 武田六右衛門、田野に左遷
- 捕物でにぎわった田野
- 楠原で寺子屋教育
- 鰐塚山の境界論争
- 佐野・八重の民、山之口へ逃散
- やり手の壱岐武蔵坊
- カライモ栽培復活
- 仮想敵国は島津
- 飫肥六相寺の一つ慈眼寺
- 各地で庚申塔建立
- 園田織助の武勇談
- 長倉代右衛門の榎原参詣
- 杉の植林始まる
- 薩摩からの難民受入れ
- 野崎善右衛門が庄屋を拝命
- 田野の五人衆
- 田野村に頭取職を配置
- 大宮大明神の加持祈禱
- 清武中野の射芸に田野衆参加
- 天建神社宮田家の供揃え
- 平部嶠南田野郷を回る
- 中野で行われた養老の典
- 田野・山之口間の道路再開通
- 藩主伊東祐帰公の田野巡視
- 幕末の田野の人口・物産・民業
- 参考文献
- 年表
- 編纂の組織
- 編集後記