鈴木貫太郎伝
スズキ カンタロウ デン
種別: | 電子ブック |
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言語: |
日本語
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出版事項: |
東京
鈴木貫太郎伝記編纂委員会
1960
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主題: | |
オンライン・アクセス: | 国立国会図書館デジタルコレクション [静岡本館レファレンスカウンター・浜松分館カウンターへ(平日9:00-12:30,13:30-17:00)] |
目次:
- 目次
- 題書 鈴木貫太郎
- 序にかえて 鈴木貫太郎伝記編纂委員会
- 第一 海軍篇
- 一、あこがれの海軍へ
- 二、朝鮮警備から水雷艇長へ
- 三、威海衛港内に潜入
- 四、失敗した夜間襲撃
- 五、軍令部との魚雷論争
- 六、ドイツ駐在時代
- 七、巡洋艦春日の回航
- 八、黄海の海戦
- 九、バルチック艦体を撃滅
- 一〇、座右銘「奉公十則」
- 一一、海軍未曾有の大刷新
- 一二、新夫人を迎え父を見送る
- 一三、太平洋を平和の洋たらしめよ
- 一四、関東大震災と救援措置
- 一五、連合艦隊司令長官
- 一六、軍令部長時代
- 第二 侍従長、枢密院篇
- 一七、田中内閣と張作霖事件
- 一八、ロンドン条約をめぐって
- 一九、南陸相と本庄武官長
- 二〇、五・一五事件前後の情勢
- 二一、天皇機関説排撃運動
- 二二、奉然銃口に身を暴す
- 二三、広田内閣から小磯・米内内閣まで
- 二四、枢府副議長から議長へ
- 第三 内閣篇
- 二五、鈴木推薦の重臣会議
- 二六、組閣の構想と閣員の選考
- 二七、私の屍を踏みこえて
- 二八、胸奥に燃ゆる灯火
- 二九、沖縄遂に敵手に落つ
- 三〇、陸海軍首脳者への忠言
- 三一、ドイツの崩壊による影響
- 三二、戦争指導の基本大綱成る
- 三三、日ソ関係の推移
- (一) 鈴木内閣成立までの対ソ連関係
- (二) 鈴木内閣成立以後の対ソ連関係
- (三) 陛下終戦の意図を表明せらる
- (四) 果たせなかった近衛特使の派遣
- 三四、国内の情勢
- 三五、第八十七臨時帝国議会
- (一) 臨時議会の召集
- (二) 議会における大波乱
- 三六、国民義勇隊の問題
- 三七、ポツダム宣言の発表
- 三八、ポツダム宣言をめぐる論争
- 三九、原子爆弾とソ連の参戦
- (一) 原子爆弾広島に投下さる
- (二) ソ連の対日宣戦
- 四〇、八月十日の聖断
- (一) 閣議と最高戦争指導会議
- (二) 御前会議
- 四一、この君にしてこの臣あり
- 四二、情報局総裁談と陸相訓示
- 四三、連合国の回答をめぐって
- 四四、陛下に皇族協力を誓う
- 四五、全閣僚の意見を微す
- 四六、聖断再び下って終戦決定
- 四七、閣議と終戦詔書の公布
- 四八、阿南陸相の最期
- 四九、玉音放送
- 五〇、民族永遠の生命を保持せよ
- 五一、内閣総辞職
- 第四 余生篇
- 五二、再度の枢密院議長就任
- (一) 出蘆
- (二) 新憲法の制定
- (三) 枢密院を通過す
- 五三、永眠
- 五四、偲ばれるそのおもかげ
- (一) 夢枕に立った毘沙門天
- (二) 百五十歳まで生きる
- (三) 一汁二菜を守り通す
- (四) 皇室護持の一念を貫く
- (五) 悔悟した狙撃犯人
- (六) 単独で敵艦隊邀撃を具申
- (七) 生還を期するの是非
- (八) 弟孝雄大将をかばう
- (九) 桃李言わず下自ら蹊をなす
- 年譜
- 参照文献資料
- あとがき 迫水久常
- 写真(巻頭)
- おもかげ(昭和二十年四月初句)
- 父母、兄弟と共に(日清戦争凱旋記念)
- 海軍青年士官時代
- ドイツ駐在駐在武官として
- 海軍軍令部長時代
- 結婚記念日に
- 家庭のひと時(組閣直後小石川の自邸にて)
- 鈴木内閣成立
- 空襲下退避姿の鈴木総理
- 食糧増産隊を激励(首相官邸の庭にて)
- 鈴木内閣の閣僚
- 四長官と秘書官
- 鈴木内閣の顧問
- 悠々自適の生活
- 筆蹟